三重塔
大正3年(1914年)4月17日指定
昭和32年(1957年)7月20日再指定
天正13年(1587年)稲葉一鉄修造の棟札が善学院に遺っているが、それより約70年前に斎藤伊豆守利継が建立したものであろうと言われている。
塔の大きさ
初重 方10.5m 軒高 4.7m
二重 方10.2m 軒高 9.02m
三重 方9.02m 軒高 13.5m
露盤下までの高さ 17.76m
相輪頂上までの高さ 24.6m
塔の構造
三層塔婆・毎層三間 組物三手先 軒二重棰 初重勾欄は天井拭板 屋根檜皮葺 相輪鉄製
室町時代の豪壮華麗な建築様式を伝えている。
十一面観世音菩薩像
大正3年(1914年)4月17日指定
昭和32年(1957年)7月20日再指定
藤原時代の様式をもち、胡粉地極彩色の施された観世音菩薩像である。穏やかな面貌、豊かな胸の肉の彫りは浅く、肩から背部、両腕への流麗な線、衲衣の波状紋の線、うすい膝、何れも藤原期の彫刻の特徴を象徴している逸品である。
像高は27cm、坐像で極彩色である。
十一面観世音菩薩像
大正3年(1914年)4月17日指定
昭和32年(1957年)7月20日再指定
藤原時代の様式をもった坐像で、胡粉地彩色が施されたものである。刀法が簡素な仏像で神像に近い趣が感じられる。特に面相が豊麗で中でも目鼻が非常に美しいと言われている。彩色の跡も随所に残っており、製作当初の優美さが髣髴とされる。
像高は22㎝、彩色坐像で一木彫である。
地蔵菩薩像
大正3年(1914年)4月17日指定
昭和32年(1957年)7月20日再指定
極彩色の名残が多く残っており、僧衣の紋様が胴や裾の一部にその跡が見られる。顔や首、右手の一部には彩色が残っているのが明らかに判っていて、往時の優美さがしのばれる。
像高は34.7㎝である。
狛犬一対
大正3年(1914年)8月25日指定
昭和32年(1957年)7月20日再指定
西保城主・不破河内守光治の寄進になるもので、吽形狛犬の前左趾外側に「天正五丁丑季(1577年)5月吉日」、阿形狛犬の右趾外側に「不破河内守光治造立」と彫ってある。
全体に縦長で像高74㎝笏谷石を用い、たてがみは流れるような線をなしており、簡素であるが垢抜けのした力強い彫刻である。
本殿
昭和33年12月14日指定
主神・大己貴神をお祀りした本殿である。「寛永7年庚午霜月8日 尾張松平大納言」の棟札が残っている。尾張藩初代徳川義直公の寄進による。檜皮葺、流れ造り、朱塗りの社殿で、江戸初期の社殿建築の代表的な建物として貴重である。
百八燈
昭和36年6月19日指定
日吉神社玉垣中央石段の左右にある。左右合わせて百八の燈明がつくので百八燈と呼ばれている。元来百八燈は寺院の内陣の境等にあるもので、神社の社前にあるものは珍しい。
中に安置してある燈明台は縦125㎝の中心の骨に左右に五本宛が出て、この腕に燈明皿を受ける丸い輪がついて、一基で54枚の燈明皿が乗るようにできている。
中心の鉄に「日吉山王権現、田代○○エ門※、下に宝永3年(1706年)1月吉日」の文字が鏨(たがね)で彫ってある。
※〇〇の部分については、記述がかすれているため解読困難
日吉大宮神輿
昭和36年6月19日指定
日吉神社祭典行事に担がれ、3番目に渡御する日吉大宮の神輿である。
中心の胴体の高さ98.5㎝、幅98.5㎝の正方形。 |
台脚の高さ24㎝。 |
担ぎ棒間の幅は95㎝、担ぎ棒の長さ403.9㎝。 |
屋根の高さ66.6㎝、裾の幅140㎝。 |
頂きの桝型の上の鳳凰の高さ50㎝、首から尾までの長さ30㎝。 |
胴を乗せる御座板の高さ19.7㎝、幅139.3㎝。 |
四方の扉(あかね)の鏡は直径33.3㎝のもの4個。 |
屋根に飾ってある金物は四方共巻雲と竜の透彫り金物。 |
胴体の柱の金物は前部2本は左右共鉄拐山人の仙人清遊の唐金彫刻。 |
御座板の打付金物は波に飛竜の模様を浮かした彫刻金物。 |
棒鼻(前の丁口)の金物は獅子頭に太鼓を持った舞い姿の透彫り。 |
鈴は丸型。鈴縄は緋縮緬の巻縄である。 |
神輿は貞享4年4月(1687年)に制作されたもので、上新町・安次・丈六道・田・本庄(大野町)の氏子によって管理・奉舁(ほうよ)される。
日吉二宮神輿
昭和36年6月19日指定
日吉神社祭典行事に担がれ、4番目に渡御する日吉二宮の神輿である。
中心の胴体の高さ96.9㎝、幅96.9㎝の正方形。 |
台脚の高さ23㎝。 |
担ぎ棒間の幅は95㎝、長さ415.1㎝。 |
屋根の高さ69.6㎝、裾の幅140㎝。 |
頂きの桝型の上の鳳凰の高さ33.3㎝、首から尾までの長さ35㎝。 |
御座板の高さ18.1㎝、幅136.3㎝。 |
四方の扉(あかね)の鏡は直径21.2㎝のもの4個。 |
屋根に飾ってある金物は五七の桐の金物。 |
胴体の柱の金物は前部左右2本に神武天皇東征の像が、また後の左右2本には南朝の忠臣菊地一族の旗上げの像が、何れも金・銀・銅・錫等で浮彫りにされている。 |
御座板の打付金物は波に千鳥浮彫りで銅鍍金が施してある。 |
棒鼻(前の丁口)の金物は唐草模様の金物が嵌めてある。 |
鈴は丸型。鈴縄は緋縮緬の巻撚りで、鈴縄掛の金物は唐獅子の青銅作りである。 |
神輿は貞享4年4月(1687年)に制作されたもので、三津屋・末守・北一色の氏子によって管理・奉舁(ほうよ)される。
日吉宇佐宮神輿
昭和36年6月19日指定
日吉神社祭典行事に担がれ、5番目に渡御する日吉宇佐宮の神輿である。
中心の胴体の高さ118.1㎝、幅96.3㎝。 |
台脚の高さ23㎝。 |
担ぎ棒間の幅は95㎝、長さ400㎝。 |
屋根の高さ69.6㎝、裾の幅140㎝。 |
頂きの桝型の上の鳳凰の高さ33.3㎝、首から尾までの長さ40㎝。 |
御座板の高さ16.6㎝、幅138.1㎝。 |
四方の扉(あかね)の鏡は直径24.2㎝のもの4個。 |
屋根に飾ってある金物は葵の紋。 |
胴体の柱の金物はそれぞれ上部に巻雲模様、下部に波の模様を金で彫刻してある。 |
御座板の打付金物は波に千鳥浮彫りで、銀と金鍍金が施してある。 |
棒鼻(前の丁口)の金物は右が竜、左が虎の浮彫金物が嵌入してある。 |
鈴は丸型。鈴縄は緋縮緬の巻撚りである。 |
神輿は貞享4年4月(1687年)に制作されたもので、宮町・井田の氏子によって管理・奉舁(ほうよ)される。
日吉樹下宮神輿
昭和36年6月19日指定
日吉神社祭典行事に担がれ、2番目に渡御する日吉樹下宮の神輿である。
中心の胴体の高さ95.4㎝、幅96.9㎝。 |
台脚の高さ18㎝。 |
担ぎ棒間の幅は93㎝、長さ406㎝。 |
屋根の高さ50㎝、裾の幅140㎝。 |
頂きの桝型の上の鳳凰の高さ33.3㎝、首から尾までの長さ48㎝。 |
御座板の高さ18.7㎝、幅137.8㎝。 |
四方の扉(あかね)の鏡は直径30㎝のもの4個。 |
屋根に飾ってある金物は正面が七曜星3個。左右および後部は2個ずつ。 |
胴体の柱の金物は前部2本に岩上にたわむれる獅子と笹の葉、および渓谷の飛沫模様の青銅彫刻金物。後部の柱は牡丹に蝶が右側、岩の上を蝶が飛んでいるのが左側。 |
御座板の打付金物は正面、左右共に波に千鳥の透彫りである。 |
棒鼻(前の丁口)の金物は波に千鳥の透彫り。 |
鈴は丸型。鈴縄は紅白2本の撚り合わせである。 |
神輿は貞享4年4月(1687年)に制作されたもので、横町の氏子によって管理され、横町・西保・南方の氏子によって奉舁(ほうよ)される。
日吉客人宮神輿
昭和36年6月19日指定
日吉神社祭典行事に担がれ、6番目に渡御する日吉客人宮の神輿である。
中心の胴体の高さ93.9㎝、幅96.9㎝。 |
台脚の高さ18㎝。 |
担ぎ棒間の幅は100㎝、長さ409㎝。 |
屋根の高さ69.6㎝、裾の幅140㎝。 |
頂きの桝型の上の鳳凰の高さ33.3㎝、首から尾までの長さ35㎝。 |
御座板の高さ18.1㎝、幅139.3㎝。 |
四方の扉(あかね)の鏡は直径27.2㎝のもの4個。 |
屋根に飾ってある金物は前部に憂曇華の花3個。左右および後部は2個ずつ。 |
胴体の柱の金物は前部右側は養老の孝子源丞内が滝の水を汲んでいる図。左側は楠公桜井の子別れの図。後部は左右共漢詩の讃文の彫刻。 |
御座板の打付金物は波に千鳥の鍍金金物。 |
棒鼻(前の丁口)の金物は左右共憂曇華の花の彫刻が嵌入してある。 |
鈴は丸型。鈴縄は緋縮緬の巻撚りである。 |
神輿は貞享4年4月(1687年)に制作されたもので、下新町・福井の氏子によって管理され、下新町・福井・下宮・更屋敷の氏子によって奉舁(ほうよ)される。
日吉牛尾宮神輿
昭和36年6月19日指定
日吉神社祭典行事に担がれ、1番先頭に渡御する日吉牛尾宮の神輿である。
神輿本体の形が唯一八角形。
中心の胴体の高さ90.9㎝、幅51.5㎝。 |
台脚の高さ21㎝。 |
担ぎ棒間の幅は80㎝、担ぎ棒の長さ380.3㎝。 |
屋根の高さ40.9㎝、裾の幅52㎝、頂きの桝型の上に擬宝珠が載る。 |
頂きの擬宝珠の高さ24.5㎝、直径20㎝。 |
御座板の高さ21.2㎝、幅142.4㎝。 |
八方の扉(あかね)の鏡は直径18.1㎝のもの8個。 |
屋根に飾ってある金物は16花弁の菊花の紋章8個。 |
胴体の柱の金物は上り竜と下り竜の浮彫金物。 |
御座板の打付金物は波と兎。 |
棒鼻(前の丁口)の金物は金唐草模様の中央に16花弁の菊花の浮彫。 |
鈴は八角型青銅の駅鈴。鈴縄は紅白縮緬の2本撚りである。 |
神輿は貞享4年4月(1687年)に制作されたもので、本町の氏子によって管理・奉舁(ほうよ)される。
日吉三宮神輿
昭和36年6月19日指定
日吉神社祭典行事に担がれ、最後の7番目に渡御する日吉三宮の神輿である。
中心の胴体の高さ100㎝、幅100㎝の正方形。 |
台脚の高さ20㎝。 |
担ぎ棒間の幅は95㎝、長さ400㎝。 |
屋根の高さ40.3㎝、裾の幅140㎝、頂きの桝型の上に擬宝珠が載る。 |
擬宝珠の高さ22.7㎝、直径25㎝。 |
御座板の高さ16.6㎝、幅136.3㎝。 |
四方の扉(あかね)の鏡は直径27.2㎝のもの4個。 |
屋根に飾ってある金物は、鳳凰が羽根を広げている模様が屋根の四方に打ってある。 |
棒鼻(前の丁口)の金物は12星の中心に福槌の浮彫金物が嵌入してある。 |
御座板の打付金物は波に千鳥の浮彫金物で、金、銀の鍍金がしてある。 |
鈴は丸型。鈴縄は緋縮緬の巻撚りである。 |
鈴の金物は前部右が麒麟、左が亀、後部の右が上り竜、左が鳳凰の金物が打ち付けてある。 |
神輿は貞享4年4月(1687年)に制作されたもので、鍛冶屋町の氏子によって管理され、鍛冶屋町・昭和町・川西の氏子によって奉舁(ほうよ)される。