初代尾張藩主が寄進した本殿
日吉神社境内の正面、玉垣の中央に本殿がある。本殿は正殿(せいでん)ともいい、祭神の御座を設ける建築物で、神社の最も神聖な場所である。
日吉神社の本殿は、昭和33年(1958年)12月14日に岐阜県重要文化財に指定された。指定の理由は、寛永7年(1630年)霜月(11月)7日、尾張松平大納言(徳川義直(よしなお) 初代尾張藩主、徳川家康の九男)の棟札があり、技風、手法も江戸時代初期の特色を有するものであり、簡素な構造の建て方であるが、全体の調和がよく、優れた建物である、とされている。
本殿は、桁(けた)行三間、梁(りょう)間二間、一間向拝(こうはい、正面階段の上に張り出した庇(ひさし)の部分)付となっている。
神社建築は建物の表側と奥側に向かい合せに一対の柱を立て、それに梁(はり)を掛け渡したものを横方向にいくつか並べ、桁で繋ぐ形式である。この本殿は、正面の柱と柱の間が三つあるので三間社といい、奥行きが二間あり、さらに正面階段の上に張り出した一間の庇(ひさし)、すなわち向拝(こうはい)が付いている。その他の構造としては、切妻造(きりづまづくり、本を開いて伏せたような二つの斜面からできている屋根を持つ建物)、檜皮葺(ひわだぶき、檜(ひのき)の樹皮で葺いた屋根)となっている。
また、平面でみると、身舎(もや、母屋)後方中央一間が神体を安置する内陣(ないじん、本殿のなかで最も奥にあり、神体を安置する部分)、両脇各一間脇内陣、身舎前面一間外陣(げじん、内陣の外側の部分)、向拝一間となる。
なお、神聖な場所である身舎には、神を崇敬するために正式な柱である円柱が使われ、人々が近寄る場所である向拝には、神に対して謙(へりくだ)る意を表現するために、略式な柱である角柱が使われたといわれている。
本殿建築としては、向拝を身舎の幅いっぱいに設けた流造の造形美が好まれ、この本殿のように向拝付きの切妻造の形式は意外と少なく、流行しなかったといわれている。〈小川和英〉